研究活動
乳がんに対する術前抗がん剤治療に最適な薬剤の組み合わせを同定
乳がん全体の約20%に認められるHER2陽性乳がんは、従来は他の乳がんと比較して再発率および死亡率が高いとされてきました。しかし、ハーセプチンの登場により、再発率の著しい改善が認められています。近年はハーセプチンに加えて、複数の分子標的治療薬の開発が進み、治療法の選択肢が増える一方で、どの薬剤の組み合わせが最も有効性かつ安全性に優れているかは明らかではありませんでした。
我々のグループは、過去に欧米を中心として行われた、10種類の異なる臨床試験を対象に、ネットワークメタ解析という特殊な統計学の方法を用いて、治療方法の有効性と安全性の検討を行いました。その結果、HER2に対する分子標的治療薬2剤と、抗がん剤を組み合わせる方法が、現在の標準治療であるハーセプチン単剤に抗がん剤を組み合わせる方法と比較して、有効性において優れ、安全性では同等であることが明らかになりました。
本研究成果をふまえて、HER2陽性乳がんに対する術前抗がん剤治療において、有効性および安全性の両者を考慮した、適正な薬剤選択を行うことにより、治療による副作用を増加させることなく、再発率および死亡率を抑えることが期待されます。
この研究結果は、権威ある医学雑誌であるJournal of the National Cancer Instituteへ掲載され、世界の乳がん治療に大きなインパクトを与えました。
関連論文
Aiko Nagayama, Tetsu Hayashida, Hiromitsu Jinno, Maiko Takahashi, Tomoko Seki, Akiko Matsumoto, Takeshi Murata, Hutan Ashrafian, Thanos Athanasiou, Koji Okabayashi, and Yuko Kitagawa, Comparative effectiveness of neoadjuvant therapy for HER2-positive breast cancer: A network meta-analysis. J Natl Cancer Inst. (2014) 106 (9)
http://jnci.oxfordjournals.org/content/106/9/dju203.long
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Combined therapy for breast cancer, Keio Research Highlights
慶応大、乳がんの術前抗がん剤治療に最適な薬剤の組み合わせを同定 - マイナビニュース
転写因子HOXB9による乳がん進展促進効果の解明
乳がんの最も恐ろしい特徴は、他の臓器へ転移を行うことです。乳がん細胞は乳管上皮から発生するため、本来は細胞同士が密着し、がっちりと手を繋いで並んでいます。しかし、手を繋いでいては転移できないため、その性質と形態を変化させ、手を離して転移をしようとします。この現象を、上皮- 間葉転換(EMT : Epithelial - Mesenchymal Transition)と呼んでいます。
林田らは、転写因子HOXB9がこの現象を促進することをつきとめ、同時に乳がん細胞へ栄養を送るための血管も増殖させることを解明しました。
当科では、この研究の後もHOXB9に関する研究が多く行われ、
① HOXB9陽性乳がん細胞は放射線耐性を得ること
② HOXB9陽性乳がんの患者は進行が早く、転移をきたし予後が悪いこと
③ HOXB9遺伝子の発現はE2F1という有名な転写因子により制御されていること
を次々と解明していきました。今後はこの研究を進めることで、HOXB9とその関連する遺伝子を乳がん治療の診断ツールとして使用し、近い将来に薬剤選択を容易にするためのバイオマーカーとして使用できないかを検討していく予定です。
関連論文
Zhussupova A, Hayashida T, Takahashi M, Miyao K, Okazaki H, Jinno H, Kitagawa Y. An E2F1-HOXB9 Transcriptional Circuit Is Associated with Breast Cancer Progression. PLoS One. 2014 Aug 19;9(8):e105285
Hirohito Seki, Tetsu Hayashida, Hiromitsu Jinno, Shigemichi Hirose, Michio Sakata, Maiko Takahashi, Shyamala Maheswaran, Makio Mukai, Yuko Kitagawa, HOXB9 expression promoting tumor cell proliferation and angiogenesis is associated with clinical outcomes in breast cancer patients, Ann Surg Oncol. 2012 Jun;19(6):1831-40.
Naokazu Chiba , Valentine Comaills , Bunsyo Shiotani , Fumiyuki Takahashi , Toshiyuki Shimada , Ken Tajima , Daniel Winokur , Tetsu Hayashida , Henning Willers , Elena Brachtel , Maria Vivanco , Daniel Haber , Lee Zou , Shyamala Maheswaran, HOXB9 induces EMT-associated radioresistance by promoting activation of the ATM pathway, Proc Natl Acad Sci U S A. 2012 Feb 21;109(8):2760-5.
Hayashida T, Takahashi F, Chiba N, Brachtel E, Takahashi M, Godin-Heymann N, Gross KW, Vivanco MM, Wijendran V, Shioda T, Sgroi D, Donahoe PK, Maheswaran S. HOXB9, a gene overexpressed in breast cancer, promotes tumorigenicity and lung metastasis. Proc Natl Acad Sci U S A. 2010 Jan 19;107(3):1100-5
原発性乳癌に対する乳頭乳輪温存乳房切除術の安全性を検証
乳癌手術においてインプラントによる乳房再建が保険適応となって以降、急速に乳頭乳輪温存乳房切除術と呼ばれる術式が多く行われるようになりました。しかし、その腫瘍学的な安全性については未だ確立はされていないのが現状です。
我々のグループは、当院にて乳房切除術を施行した症例と乳頭乳輪温存乳房切除術を施行した症例とでその局所再発率を比較検討しました。より適切な比較を行うために傾向解析と呼ばれる比較的新しい解析法を用いました。その結果、観察期間5年時点での局所再発率は乳房切除術群で6.3%、乳頭乳輪温存乳房切除術群で7.7%であり両群の腫瘍学的な安全性は同等であることを証明しました。
この結果をうけて当院では、適応を選んで安全に乳頭乳輪温存乳房切除術を施行しています。
関連論文
T Seki, H Jinno, K Okabayashi, T Murata, A Matsumoto, M Takahashi, T Hayashida, Y Kitagawa, Comparison of oncological safety between nipple sparing mastectomy and total mastectomy using propensity score matching, Annals of The Royal College of Surgeons of England 05/2015; 97(4).
乳がん再発巣におけるバイオマーカー変化の検討
再発乳がんに対する薬物療法は通常、初発時の乳がんのエストロゲンレセプター(ER)、プロゲステロンレセプター(PgR)、HER2などのバイオマーカーに基づいて決定されます。しかし、10~40%の再発症例では、再発巣でのバイオマーカーの変化が報告されています。
そこで我々のグループは、肝臓や肺などの再発巣に対して生検を行い、実際の再発巣のバイオマーカーに基づいて薬物療法の方針を決定しています。
当院で再発巣の生検を施行した症例を解析したところ、ER・PgR・HER2の発現にそれぞれ16.4%、30.9%、10.2%の不一致を認めました。また、ER・PgRが陽転化した群では、陰性を維持した群と比較して有意に予後が良好であるという結果を得ました。
このように、再発巣のバイオマーカーを検索することにより、適切な再発治療の選択につながり、予後予測因子となることが期待されます。
関連論文
Matsumoto A, Jinno H, Murata T, Seki T, Takahashi M, Hayashida T, Kameyama K, Kitagawa Y, Prognostic implications of receptor discordance between primary and recurrent breast cancer. Int J Clin Oncol. 2015 Aug;20(4):701-8.
温存乳房内再発に対するセンチネルリンパ節生検の有用性
現在、乳がんの腋窩リンパ節の転移の有無を調べる方法としてセンチネルリンパ節生検が確立されています。センチネルリンパ節とは、乳房内からがん細胞が最初にたどり着くリンパ節のことで、手術前に放射性同位元素(アイソトープ)や色素を乳房に注射して、センチネルリンパ節の位置を同定します。
一方、乳がんの手術方法として近年、乳房を部分的に切除する乳房温存手術が普及しています。しかし、5~10%の割合で残した乳房に再びがんが発生する「温存乳房内再発」を認めることがあります。
温存乳房内再発に対して多くの場合は、再手術が必要となります。この際の腋窩リンパ節転移の評価のためにセンチネルリンパ節生検を施行した場合、初回手術の影響でリンパ流が変化してリンパ節の同定率が下がる可能性が指摘されています。
我々のグループは、当院で施行した温存乳房内再発に対してセンチネルリンパ節生検を施行した症例を解析し、アイソトープと色素の併用法により80.0%の症例でセンチネルリンパ節が同定可能であるという結果を得ました。
また観察期間40.3か月において、全症例で腋窩リンパ節の再々発は認めておりません。このような結果から温存乳房内再発症例に対しても、安全にセンチネルリンパ節生検が施行可能であることを証明しました。
関連論文
Matsumoto A, Jinno H, Nakamura T, Saito J, Takahashi M, Hayashida T, Kameyama K, Kitagawa Y, Technical feasibility of sentinel lymph node biopsy in patients with ipsilateral breast tumor recurrence and previous axillary surgery. Int J Surg. 2015 Oct;22:28-31.